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自問自答 |
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塾長!お久しぶりです。「塾長迷言集」のアドレス、変わりましたか? |
クラムHPのページは、現在、ファイル数8,422。フォルダ数1,167です。その大半がアクセス不可のまま埋もれていて、塾長もどこに何があるやら、さっぱり。(笑) 塾生の皆さんからの、ご質問にお応えしながら生み出し、創り上げたHPです。FAQの中に新たにまとめようと、コツコツ暇を得ては取り上げて整理しています。今回のご質問で思い出す機会を得ました。塾長迷言集も「自問自答」として取り上げていきます。ご連絡とご指摘、ありがとうございました!
(2008.09.19) |
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例え話 |
塾生の皆さんと個々にメールのやり取りをしていると、様々な悩みや迷い、そこから来るご質問やご相談が重複する場合があります。それは、皆さん同じ立場で、入り口も目的地も同じで集まっているのですから当然だと理解納得して、個々の対応も苦にはなりませんでした。
「迷う者は道を問わず」私に問われることを嬉しく思いますし、また作家としては当たり前の『成長の過程』と受け止め、「悩むより書きましょう。そうすれば目的地に辿り付ける」急かすように塾生の皆さんを追い立ててきました。「君の前に道はない。君の後に道が出来る」一歩一歩着実に歩み続けて、ふと立ち止まって振り返った時に、「ああ、そうだったのか」と後で気付けばそれで良いと考えてきました。
でも、よくよく考えてみると、ここに大きな過ち、見落としがあることに気付きました。プロの脚本家を目指しての旅立ちに、これから踏み出そうとする塾生の皆さんは、それぞれ対応も意気込みも違う筈です。中には旅立ちの用意を何もせずに参加している方もいらっしゃる。それは、とても不安ですよね。
そこで私の体験談を語る『思い出話』を書き始めたのですが、もう一つ『例え話』のツリーを作ります。私が塾生の皆さん、後輩の皆さんへ伝えたいメッセージを例え話で表そうとする試みです。逆にその試みが上手く行かず、私が皆さんにお伝えしたいその『意図』や『思い』がわかりにくくなるかも知れません。それでも何かを汲み取って頂ければ幸いです。まずは『旅』と『家』です。
(2001.05.10) |
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旅 |
皆さんは私塾『クラム』が主催する『プロの脚本家を目指す旅』ツアーに申し込みを済まされ、集合場所の門の前に集まった。先に来た人もいれば、後から来る人もいます。でもとりあえずは自分一人だけ。まずは旅の行程や用意する物を教えてくれるだろうと、手ぶらで参加した人もいます。
門が大きく開いて、中から添乗員らしい男が現れ、自分は『塾長』だと名乗ります。その男の向こうには、だだっ広い荒野が広がっているだけ。「なんだこれは?」と思っていると、添乗員だと思っていた男は、「さあ、旅立ちましょう! 後はよろしく!」と、一枚の略図を渡したきり、ボーと立っている。その略図を見ると、東西南北も距離も表さない、か細い1本の道が書いてあるだけ。しかもその道すら、目の前の荒野には見当たりません。
気付くと回りに仲間が増えている。中には用意周到、水や食料も用意して、旅のガイドを片手に、「私、ドラマ島へ行きたいんですけど」と言い出す。と、男が、「ああ、それならバスがあります。今なら丁度次の便に間に合いますよ」と、指差した先にバス停が現れ、バスも待っている。「それじゃ、行きましょうか」男はさっさと何人かの参加者とバスに乗り込み、行ってしまった。
「取り残されたの……」と思っていると、行ってしまった筈の男がまだ立っていて、相変わらずボーとしている。何を聞いていいのかも分からず、「あのー、私、病弱なんですけど、添乗員さんや皆さんにご迷惑をおかけするんじゃないかと心配しています」と言ってみる。するとその男は、「そうですか。一応薬は色々用意してますし、旅の途中に病院や診療所もありますよ」と応える。「やっぱり、水とか食料とか、いりますよね?」「そうですか。じゃあ、どうぞ」男は簡単に出して与えてくれる。「雨が降ったら、傘もいるだろうし、ぬかるんでいる道だとこの靴じゃ無理ですよね」男は傘も用意するし、靴も用意して与えてくれます。やがて門の下に立ち止まったまま、そうやってドンドン荷物が増えて行きます。
それでも、やっぱり不安です。何か忘れ物があるような気がして仕方がない。このまま旅立つことへの不安がある。男はただボーと傍らに立っているだけです。何を訊ねて良いのかも分からなくなってきました。
でも、男はそうやって見守りながら、こう考えています。
「この人は旅をしたいだけ。旅の目的も目的地も定まらず、夢に描いているのは蜃気楼。ドラマ島もそうだが、目指す場所に自分の居場所があるかも知れないし、ないかも知れない。そして皆、最後は自分がこの荒野の中に新しい道を創り、新しい都市を創る役目だということを忘れている」
(2001.05.10) |
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シナリオ指導とは? |
シナリオは学ぶモノではなく、書くモノ。教えることは出来ない。創造者に教えても意味がない。ではどうするのか、どうすれば良いのか……。今浮かぶ答えは一つ。自分で答えを見つけて貰うために、導くことは出来るかも知れない。
(1991〜2001) |
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評論家・批判家の意見をどうする? |
人の批判は気にしないし恐れない。揚げ足取りの評論家は沢山いる。それより評論家の資質ってナンだろう。事件が起こる度にマスコミに登場する様々な評論家。くだらない陳腐な意見を得々と述べる人や新たな視点で発見させてくれる方もいる。様々。くだらない意見と思えるのは、こちらが求めていない知識披露や、自分の狭い考えを押し付けるから。番組や視聴者が何を求めているのか、その感性や気遣い、スタンスがないからチグハグになる。勿体無い。自戒、自戒。 (1991〜2001) |
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導くこととは? |
シナリオの知識や技術を「教える」以外に「導く」こと。それは生徒が今までに使っていない「頭の筋肉」を柔らかくほぐすことにあるのかも知れない。まずは理解力。講師の話を素直に聞けるか試してみる。 (1991〜2001) |
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シナリオに答えはあるのか? |
シナリオには算数や数学のような数字で表す明確な答えはない。○×では答えられない。シナリオの答えを敢えて数学で表せば、不等号>の形になる。3<8のようなもの。 (1991〜2001) |
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生徒とは? |
シナリオを学び始めた生徒は、源泉に落ちた木の葉。せせらぎを通って、小川、中川、大川、一級河川へと流れ行く。いずれは、いずれも大海を目指して行く。講師は岸辺に立つ傍観者。障害物があれば取り除き、大海原への道を指し示す。 (1991〜2001) |
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何が出来る? |
お前は道標なのか、光明になり得るのか。わからない。でも、暗闇の中で道に迷い、立ち止まっている者たち、最初の第1歩に迷い恐れる者たち、そして、歩み始めた者たちへの役には立つのではないのか。歩き出せば、自分自身で新たな道標に気付き、新たな光源を見出すだろう。そうなれば喜んでエールを贈り、見送れば良い。 (1991〜2001) |
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講師の役目とは? |
講師の役目は鏡だと思う。写る相手が、自分自身に問いかける役割を持っている。講師(鏡)がどんな枠(受賞歴/作品の評価/名声)で飾られていようがあまり関係ない。その選んだ鏡が歪んでいるかどうかは、他の鏡を見て、写す本人が自分で判断すれば良い。 (1991〜2001) |
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指導する上で注意すべきこととは? |
物語の選択肢は無限、シチュエーションも常に変化する。それらに対応するためには、その場その場の答えは役立たない。その答えが次の創作の基礎となり、繋がるような発想、その指導が必要だ。 (1991〜2001) |
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シナリオの技術や技法を教えれば、それでいいのか? |
シナリオ指導は料理に例えられる。そして、作り上げた料理には「見栄え」と「味」がある。見栄えは技術的に優れた表現。つまりシナリオの技術、表現力。味は作家の個性。核心、確信、エッセンス。見栄えが良くても良いシナリオとは言えない。見栄えだけ(流行/受けなど)を狙った作品は、潰れるのも、腐るのも早い。多少見栄えは悪くても、味のある作品が良い。味重視の作者は、数をこなすうちに見栄えの習得も出来るはずだ。 (1991〜2001) |
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シナリオにおける「核」とは? |
シナリオの成長には、まず「核」があり、それを経験で積み重ね、上塗りして行くようなものではないか。上塗りの過程は1〜10段階のようなレベルで評価、判断も出来るだろう。だが核がない場合はどうする。シナリオ創作の「核」とは何か? 「核ない」から「書けない」か?(自嘲) (1991〜2001) |
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刀鍛冶のようなモノとは? |
未完成のまま、ただ上塗りを繰り返していてもいずれはただ剥げ落ちる。その核の鍛えは板金のようなもの。刀鍛冶。またその成長には段階と同じ、構成/台詞/と書きの表現といった分野がある。 (1991〜2001) |
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豆腐と卵? |
豆腐を持ってきた生徒に「何故卵を持ってこない!」と叱る指導は指導ではない。自分の好みを押しつけてはいけない。 (1991〜2001) |
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材料と調理? |
材料はそちら持ち、調理の仕方を教えよう。だが材料が腐っていたり、客の好みに合わないことを知らずに持って来る人もいる。その時はどうすればいいのか? (1991〜2001) |
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叱る、とは? |
叱るのか、叱っていいのか? お前はそんなに優れた人間なのか? 人を導けるのか? (1991〜2001) |
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心の傷とは? |
心の傷は落ちていく。付くのではない。深く静かに心の暗部へ沈んで行く。 (1991〜2001) |
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先輩として心得は? |
言葉だけではない。先人の創作物から様々なことが学べる。まず学ぼうとする意志、謙虚な心、そして聞く耳を持つこと。常に上位に立たず、生徒の声にも耳を傾け、教えることは、何かを学ぼうとする時、ただの読者や鑑賞者であっては何も学べない、そこには様々なメッセージがある、と伝えること。 (1991〜2001) |
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覗き見? |
ドラマは他人の人生や生活を覗き見することから生まれた。 (1991〜2001) |
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「人間を描く」とは? |
「人間を描く」とは、シナリオの目標の一つ。しかしシナリオの目的からすれば、成長の一部分にしか過ぎない。「人間を描く」ことによって、観客、視聴者に何をもたらすべきか。そこに答えがある。 (1991〜2001) |
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内容勝負の作品? |
シナリオの体裁を整えていないが、内容勝負の作品も認めるべきだ。だが、シナリオは台の本(台本)であって脚の本(脚本)、設計図の意味を持つ。共同作業のための指示書であるため、一つのルールを守ることは必要だ。 (1991〜2001) |
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恥? |
作家は恥かいてなんぼ。気取るんじゃないよ。そういえば、作家の作品は、酔っ払ってゲロ突きつけて、「どうだ汚いだろ」と言ってるモンだ、そう教えてくれた先輩がいた。でも「心にも耳」がなきゃ「恥」の意味も伝わらない。
(1991〜2001)
先日(2008年10月29日)お亡くなりになった青山光二先生のお言葉です。
お嬢様が放送作家教室の同期で、そのご縁でお会いしたときに伺いました。
(2008,01,01) |
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褒めてやるべきじゃないのか? |
褒めるところがなければ褒められない。
(1991〜2001) |
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創造者としての役目は? |
何もない真っ白な空間の中に人を登場させ、家族や都市の風景、物語などを新たに創り出すのが作家の仕事。創造者は全てを自分で決める者。素晴らしい世界への誘い。
(1991〜2001) |
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悩み? |
悩まれるのは結構ですが、やはり書きましょう。具体的に一つずつ書いて、解決の糸口を探って行くのが早道です。書けば悩みの整理も出来ます。
(1991〜2001) |
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受け手? |
常に受け手の立場に立ってご自分の作品を読む癖をつける。そして台詞だけでなく、映像も思い浮かべる癖を身に付ける。
(1991〜2001) |
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客観性? |
物語を作る上で大事なことは、常に客観的に自分の書いたモノを読むことです。面白いか、面白くないか……どこが面白いのか、面白くないのか……視聴者は面白がるのか、何処で面白がってくれるのか……私の言いたいことが上手く伝わるのか、理解・共感してくれるのか……そして、それは何処か、等など。
(1991〜2001) |
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思い付き? |
思い付きを、思い付きだけに頼って、自分だけが面白がってはいけません。ただ浮かぶままに羅列するのではなく、「何故?」「だから?」という自分自身への問い掛けも必要です。常に自分自身に問い掛ける癖を身に付けましょう。
(1991〜2001) |
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嘘? |
シナリオが創り出す世界は、ご自分が生み出した、ご自分だけの世界です。それは虚構。視聴者にとって「嘘の世界」なのです。嘘と気付かせないためには、読み手を下手に立ち止まらせない。そのために必要なのは、リアリティの追求と、説明すべきことを、自然に上手く説明すること。上手な嘘。
(1991〜2001) |
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形式? |
ご自分がお書きになりたいものを、形式などに拘らずにお書きになることをお勧めします。
(1991〜2001) |
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省略? |
シナリオでは省略の技術や表現が問われます。無駄を省いて簡潔に書き表すことを求められます。
(1991〜2001) |
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設計図? |
シナリオはスタッフのための設計図です。役者やスタッフがやりやすいように書くのが基本。多くのスタッフがそれを元に様々な作業をします。監督はイメージを膨らませ、助監督ははしらで指定された場所を探し、大道具はセットを組み、小道具はト書きで指定した小物などを用意し、役者は台詞を覚えます。 誰が読んでも理解し納得出来る、そんなシナリオを心掛けて書いて下さい。
(1991〜2001) |
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締切も場合次第? |
締切を守る習慣を身につけるのはとても大切なことですが、今はそれで撮影が遅れてスタッフに迷惑かけるとか、印刷所が待っているといった実害は生じません。それよりも習作の今は、もっと基本的な「創造の楽しみ」を味わったほうが良いと、塾長は思います。肩の力を抜いて、気楽に取り組んでみてください。
(1991〜2001) |
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直しの心得? |
新たに創作の挑戦(書き直し)をする時は、先の作品を読み返さない、流用しない、始めの一行目から新たに書くことを強くお薦めします。直しのことを、ハリウッド式には「ディベロップメント」(Development/発展)といいます。
(1991〜2001) |
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逃げ! |
直せるものを直さないのは勿体無いし、逃げになります。
(1991〜2001) |
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学ぶこと |
シナリオを書くのは簡単。でも学ぶべきことは多く、そう簡単には書けなくなる。
(1991〜2001) |
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ためらい! |
ためらいが受講のことだとは承知しています。ためらいがおありなら、やめた方が良いですよ。これまでの指導経験から、結局は長続きしないのがわかります。ドラマでも始めモタモタして、それが続くお話はつまらないでしょう。迷ってばかりいる主人公も魅力ありませんよね。あと、ためらいにも色々あって、過去にご指導した方に送った「例え話」があります。もうご覧になったかも知れませんが、「旅」というタイトルです。
(1991〜2001) |
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孤独な作業 |
創造は孤独な作業。教わるだけでは掴み取れない世界がある。
(1991〜2001) |
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律法? |
「求め、探せ、門を叩け!」 「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出されん。門を叩け、さらば開かれん」 (求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 <新約聖書マタイによる福音書第7章第7節以下>
「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり予言者である」
Accordingly,
whatever you would have people do for you, do the same for them; for this covers
the Law and the Prophets.
(1991〜2001) |
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狭き門 |
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」<マタイによる福音書第7章第13節以下>
「力を尽くして狭き門より入れ」<ルカ伝第13章24節>
(1991〜2001) |
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チャンス! |
チャンスが人を育てて創る。
(1991〜2001) |
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言い訳と好い訳 |
好い訳(言い訳)よりも、好い話を考えましょう。同じ考えるなら、発展性のある方向へ思考を導きましょう。
(2006.02.26) |
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集い? |
人が集う場所にドラマが生まれる。
(2006.09.02) |
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知識と経験 |
知識はお金で得られ、知恵は経験で得られる。
(2006.10.12) |
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